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ペンローズとの会遇

1997年1月、ケンブリッジ

茂木健一郎

 

徳間書店刊 「ペンローズの量子脳理論」所収

(c)茂木健一郎 1997

http://www.qualia-manifesto.com

kenmogi@qualia-manifesto.com

この文章は、当時Cambridgeに留学していた私の日記を翻訳したものです。原文(英文)は、

http://www.qualia-manifesto.com/penrose.html

にあります。

(I)

 セミナーの前日の夕方、私は駅にロジャー・ペンローズを迎えに行った。アダー・ペラーとロジャー・トーマスが同行した。アダーはバーロー研究室における私の同僚であり、私と一緒に今回のペンローズのセミナーを企画したのだ。一方、ロジャー・トーマスは生理学教室のスタッフであるとともに、アマチュアの天文学者でもあり、ペンローズと会うことを楽しみにしていたのだ。ペンローズは、旅行鞄を二つ下げて現れた。どうやら、アメリカから帰ったばかりで、ロンドンのロイヤル・ソサエティに何日か滞在していたようだった。ペンローズの外見上の特徴の一つが、特に私の注意をひいた。彼の頭蓋の側面は、ふさふさとした豊かな毛に覆われていたが、その頂点は、ハリケーンのように円形に薄くなっていたのだ。ペンローズは、少し老けて、疲れて見えた。そして、まるで森の妖精のように、繊細な雰囲気を持っていた。私たち3人は、自己紹介して、握手した。私の順番が来たので、私は「私はケン・モギ」ですと言って、手を差し出した。ペンローズは、

 「ああ!」

と少し注意を喚起されたようだった。それまでの手紙や電子メイルを通じてのやりとりで、私の名前を記憶していたのかもしれない。

 その日は、昼間のうちに雪が降り、空気は凍り付くように冷たかった。私たちはさっそく車に乗り込んだ。ペンローズは、アメリカでひどいインフルエンザにかかって、その結果、片耳の鼓膜が破れてしまったと言った。少し、人の話が聞き取りにくくなっているようだった。アダーとロジャー・トーマスが、ペンローズと世間話をした。私にとってはほとんど興味のない話題だった。

 やがて、車はチェスター・ロード22番のレストランに着いた。「22番」と番地を名前にとったそのレストランは、隠れ家的な雰囲気のある店で、2階に特別なプライベート・ルームがある。他のゲストたちは、すでに席に着いていた。このレストランをアダーに紹介したジョン・モロンは、

 「まるで自分の家で食事しているようだろう?!」

と自慢した。まあ、このような場所を見つけるのは、ジョン・モロンの得意とするところだ。ホラス・バーロー、その妻ミランダ、それにグレアム・ミッチソンが立ち上がってペンローズを迎えた。彼等とペンローズは、お互いにすでに良く知っているように見えた。イギリスのアカデミックなエスタブリッシュメントのメンバーどうしといったところだろうか。

 注文の儀式が終わり、料理が運ばれてきた。私は、アダーと一緒に、テーブルのペンローズと反対側の席に座って、彼ら「オールド・ボーイズ」が、一体どんな話をするのか耳を傾けた。彼等は、まずオーストラリアのグレート・バリア・リーフでのスキューバ・ダイヴィングの話をした。それから、どうやったら売れる科学の本を出版できるかという話になった。ペンローズは、私たちに、ホーキングの宇宙論をテーマにした「ホーキング宇宙を語る(A brief history of time)」という映画に出演した時のエピソードを語ってくれた。ハリウッドから映画のスタッフが、オックスフォードのペンローズのオフィスにやってきた。スタディオに、彼のオフィスと全く同じセットを作るというのだ。彼らは、オフィスをじろじろと見回して、メモをとったり、あちらこちらの長さを測ったりして帰っていった。いよいよ撮影の日になってペンローズがスタディオに行くと、彼を迎えたのは、巨大なオフィスの怪物だった。彼らは、オフィスのセットの中に大企業の社長が座るような革の椅子を据え、その前にばかでかい机を置いていた。しかも、数理物理学者のオフィスにあるまじきことに、机の上は紙一つ散らかっているのでもなく、新品のようにぴかぴかにきれいという有様だった。その上、本棚にはいかにもそれらしいアンティックの本が並べられていたが、その内容はペンローズの研究とは全く関係のないものだった。椅子に座ってみると、そのままでは机に手が届かないことがわかった。そこで、ペンローズは、椅子を机に引き寄せようとした。ところが、椅子は、釘で床に打ち付けられていたのだ! ペンローズが文句を言うと、テクニシャンがわっとやってきて、釘を抜き、椅子を動かして、再び椅子を打ち付けた。すべてが、驚くほど大げさで費用のかかる遊びのように思われた。

 いよいよ撮影になって、スタッフはペンローズに

 「どのような時に時間は逆流するのですか?」

と聞いた。このような質問をしたのは、ホーキングが、宇宙が収縮し始めると、熱力学的な時間の矢が逆転するという説を提唱していたからだ。(後に、ホーキングはこの説を撤回した。)ペンローズは、自らの信念に従って、

 「どんな状況下でも、時間が逆に流れることはないと思います。」

と答えた。

 カット!

 スタッフは、あきらかに慌てたようだった。

 「それじゃあ困るんですよ。とにかく、どんな状況でもいいから、時間が逆に流れる場合を考えて下さい。」

 再びフィルムが回り始め、ペンローズは困惑して言った。

 「私には、時間が逆に流れ出すような状況は、全く想像がつきません・・・」

 カット!

 「ノー、ノー、それじゃあ、絶対に困るんですよ。とにかく、お願いですから、どんな極端な場合でもいいから、時間が逆に流れるような例を考えてくれませんか。」

 そんなやりとりの結果、ペンローズは、恐ろしく複雑怪奇なことを言うはめになってしまった。最初に言おうと意図したことから、全く外れたことを強制的に言わされてしまったのだ。もちろん、でき上がった映画の中で、ペンローズは自分でも訳のわからないことを言ったことになっている・・・

 ペンローズは、聴衆を引き込む話し手だった。そして、その表情は、駅での第一印象よりも随分と若返り、いきいきとしたものになっていた。

 私はと言えば、次第にイライラし始めていた。テーブルでの会話の内容が、どうでも良いことに思われたのだ。確かに、「ホーキング宇宙を語る」の映画撮影の話はそれなりに面白かった。だが、オーストラリアでのスキューバ・ダイヴィングや、いかにして成功するポピュラー・サイエンスの本を出版するかといった話題は、私にはどうでも良かった。そのような話題は、誰とでも話せるテーマだ。しかし、私たちは、今、ロジャー・ペンローズと話しているのだ。これこそ、宇宙論や、物理学、それに意識の問題について彼と議論する、黄金の機会ではないか。何故、この人達はハイデガーの言う「冗語」をして時間を無駄にしているのだろう? それでも、私はテーブルにいる最も若いメンバーだったので、私の好きな方向に話題を変えることは遠慮しなければならなかった。

 そんなことを考えている時、グレアム・ミッチソンが、もし古代ギリシャにタイム・トリップして、何の道具の助けもなしに、彼等に現代の進んだ科学的知識をデモンストレーションするとしたら、どうするのが良いかという話を持ち出した。テーブルのゲストは、紙や、ガラスや作って見せることを提案したり、あるいは数学の定理を証明するというのはどうかと、口々に言い合った。そのようにして、「古代ギリシャへのタイム・トリップ」の話題は、延々と1時間も続いた。確かに、そんなに趣味の悪い話題というわけではなかった。他の誰かと時間をつぶすためには、十分に使える話題だったろう。しかし、私たちは、今、ペンローズと話しているのだ。ペンローズがこの地上に滞在する時間は、限られている。私たちは、例えば、量子力学をいかにして完全な理論にするかということについて、話し合うべきなのだ! そのうち、グレアムが、

 「もし古代ギリシャ時代にタイム・トリップしたら、ペンローズ・タイルを作ることができるか?」

と質問した。ペンローズは、短く、

 「ええ」

と答えた。もちろん、古代ギリシャに行こうが、ペンローズ・タイルを作ることはできるに決まっているではないか! ただ、地面の上に、それを描けばいいのだから。グレアムのこの発言は、彼がペンローズ・タイルなどのテーマに本当に興味を持っているのではなくって、単に食事の時の社交的な会話として口を動かしているに過ぎないことを示していた。

 結局、その夕食会中、まともな話題について話す機会が訪れたのはたった1回だった。一瞬の会話の途切れをついて、私は、ペンローズが「皇帝の新しい心」(The Emperor's New Mind)、「心の影」(Shadows of the Mind)に続いて、「心」(Mind)シリーズの3冊目の本を書く予定があるかどうかを聞いた。答えはイエスだった。どうやら、ランダム・ハウスから、3冊目の本を出す予定らしいのだ。それに、97年の2月に、物理学の様々な理論について、ペンローズが自分の意見を述べる本を出すのだと言った。ペンローズは、その本の中で、ホーキングがペンローズの説を酷評しているのだと愉快そうに言った。(ホーキングとペンローズは昔時空の特異点に関する歴史的な論文を共同で書いたが、最近では意見が対立することが多くなっている。)私は、スーパー・ストリングの理論について何か書くつもりかと聞いた。ペンローズの目がいたずらっぽく笑った。

 「そう、明らかに、それについては書かなければならないでしょう。だけど、私が理解するところでは、スーパー・ストリングの理論は終わりを告げて、今や『mー理論』というのが流行らしいよ。『m』というのは、本来は『膜(membrane)』の『m』なんだけど、『神秘的な(mysterious)』の『m』

だとか、『母(mother)』の『m』だとか、あるいは提唱者のウィッテン(Witten)の頭文字のWをひっくり返したのだとか、いろいろに言われている! スーパー・ストリングの理論の最大の『売り』は、正しい理論がただ一つに決まるということだったんだけど、数個の異なる理論が出て、ユニークさというスーパー・ストリングの長所が失われてしまっていたんだ。それじゃあ困るというわけで、連中は今度は『膜』の話を始めたというわけさ。」

 ここで、グレアムが、

 「ウィッテンは未だにスーパー・ストリングが21世紀の理論だと言っているのかい?」

と尋ねた。

 そこで、ペンローズは、腕時計を覗き込んだ。

 「どうやら、まだそう言っているらしいね。だけど、21世紀は、もうすぐそこに迫っている。してみると、彼等は急いだ方が良いらしい!」

 そんなやり取りが私にとって興味のあった会話の全てで、その夕べは消化不良に終わった。

 その夕食の出来事で、一つ私の記憶に残っていることがある。それは、ペンローズが、魚を食べる時に、ナイフとフォークを皿に押し付けてキィキィ言わせたことだ。それは、まさに、皿に襲いかかるという勢いだった。といっても、ペンローズの食事のマナーが粗野なものであったというわけではない。彼のマナーは、むしろ、優雅なものと言ってもよかった。ただ、ナイフとフォークをキィキィ言わせたというだけだ。他の人々は、もう魚を食べ終わっていたので、その音は静かな部屋の中にアンプで増幅したように響わたった。居合わせた人々は、きっと当惑したのではないかと思う。しかし、私にとっては、それは、不思議に魅力的な光景だった。

 夕食会が終わり、私はアダーの車でペンローズをセント・ジョンズ・カレッジ(St. John's College)へと送っていった。ドライヴの所要時間は3分程だった。ペンローズはフロント・シートに、私はバック・シートに座っていた。私は、さっそく 『どうでも良くない話』を始めた。

 「私は、量子力学は、ツィスター的な時空構造から自然に導かれると思います。あなたはどう思いますか?」

 「・・・まあ、なかなか実現できない長期的な夢というのは、いろいろあるものです。私自身は、現在の形の量子力学は不完全なものであると信じています。」

 「あなたは本の中のイラストは全て自分で描くようですね。『心の影』の中には、意識の進化における利点についての複雑なイラストがあります。男が地面に何か幾何学的な模様を描いていて、一匹の虎がその男に襲いかかろうとしているやつです。」

 「ああ、あのイラストには、ジョークが隠されているんですよ。今のところ誰も気が付いていないようですがね。ジョークは、男が証明しようとしている定理に関することなのですが・・・」 

 私たちは、セント・ジョンズ・カレッジに着いて、ポーターから鍵を受取り、ペンローズが今夜泊まることになっている部屋へと歩き始めた。

 「ペンローズ・タイルの3次元版は考え付きましたか?」

 「ええ、私ではなく、他の人が考案しています。」

 「何種類のピースが必要になるのですか?」

 「4種類です。実際には、1種類のタイルでも、非周期的に空間を埋め尽くすことができます。ただ、これはあまり面白くないのです。空間の一つの点から、らせん状に飛び出していくだけですから。」

 「それは、『皇帝の新しい心』の中にある2次元のやつと似ているのでしょうね。」

 「そうです。3次元版のタイリングを説明することは難しくありません。『・・・』(言葉が良く聞き取れなかった)があると思ってください。それに、屋根をつけるのです。・・・角度が、有理数でない数になっています。・・・でも、これは、一種の「ズル」で、だから面白くないのです。」

 「『真正の』タイリングのように、近似的な並進対称性はないのですね。」

 「いいえ、ありません。」

 「『皇帝の新しい心』の中で、n番目のチューリング・マシーンが停止するかどうかによって系の時間的発展が非計算的に決まるダイナミックスの例を挙げてますね。もし、離散的な時間でこのような時間発展の具体的な例を考えると、必ず、少なくとも一つはその特定の時間発展を実現するアルゴリズムがあることになります。つまり、非計算的なダイナミックスの結果が、計算的にも実現できることになりますね。」

 「その通りです。だから、計算的か非計算的かという区別は、常に、1つの例だけでなく、あるクラスについて考えなければならないのです。もし、ある特定の例だけを考えると、常に、それを計算的に実現することは可能になってしまうのです。」

 私は、そのクラスの濃度は連続無限でなければならないのかどうかを聞きたかったが、もうすでにペンローズが泊まることになっている部屋に近づいていた。

 「n番目のチューリング・マシーンが停止するかどうかを使うダイナミックスは、実際のシステムとして実現するのは難しそうですね。そうではなく、実際に実現できる非計算的なダイナミックスはあるのでしょうか?」

 ペンローズは、何か口の中でもごもご言ったが、私たちはもうすでに部屋のドアの前に着いてしまった。

 そこで、私とアダーは、ペンローズに、

 「お休みなさい」

と言って、ドアを閉めた。ペンローズはとても疲れているように見えた。アメリカへの旅行と、旅行中にかかったインフルエンザが、ペンローズの体力を低下させていたのだろう。あるいは、夕食会でのどうでもいいお喋りが、彼を疲労させたのかもしれない。それとも、私の最後の質問の嵐がペンローズを疲れさせたのかもしれないが! 

 時計は11時半を指していた。セント・ジョンズ・カレッジから家に帰る途中で、アダーはペンローズはナイス・ガイだったじゃないかと言った。それから、思い出したように、グレアムは胡麻すり野郎だと付け加えた。

 

(II)

 

 翌日の金曜日、私はセント・ジョンズ・カレッジにペンローズを迎えに行った。私とアダーは、ペンローズの滞在している塔のらせん階段を上り、「シニア・ゲスト・ルーム1番」のドアをノックした。応答はなく、アダーは、ドアを何回も何回も叩かなければならなかった。

 2、3分後、ドアの中から物音が聞こえた。ペンローズがドアを開け、私たちは部屋の中に入った。

 まず目に入って来たのは、窓際の机の上に散らかった何枚かのOHPシートだった。様々な色のマーキング・ペンが、椅子の近くの床の上に散乱していた。ペンローズは、鞄の中にものを詰め始めながら、以前にセント・ジョンズ・カレッジの全く同じ部屋に泊まった時のことを話し始めた。その時も、ペンローズは窓際の机で仕事をしていたのだが、突然塔から見える芝生の上に、ヘリコプターが降り立ったのだ。そこは、セント・ジョンズ・カレッジの隣にあるトリニティ・カレッジの敷地で、その日、アン王女が訪問したのだ。すぐさま、警察の車が数台、着陸地点へと急行したという。

 朝、アダーと会った時に、私がペンローズの本を日本で書いている人間だとはっきり言うべきだと言われていた。私が、日本的な奥ゆかしさ(?)で黙っているのを見かねて、アダーがペンローズに事態を暴露した。

 「ところで、ケンは貴方の論文を訳し、あなたの理論に関する本を書いているということを知っていましたか?」

 ペンローズは、OHPシートを片付けながら言った。

 「ええ、何か関係があるのだろうとは思っていました。特に、昨日の夜の質問攻めの後ではね。」

 ペンローズは、私に、本に収録される予定の論文の一つで、インターネット上で電子出版された論文が印刷されたのを見たことがあるかと聞いた。そもそも、その論文を書いた経緯は、カリフォルニアの心脳問題を扱っている新進気鋭の哲学者、デイヴィッド・チャーマーズに頼まれてのことである。執筆を引き受ける際に、ペンローズは二つの条件を出した。まず第一は、ペンローズの論文に対してコメントを寄せる科学者の人数は10人以下であること(コメントに対しては、回答を書かなければならないので、コメントを寄稿する著者の数が増えれば増えるほど、ペンローズの負担は重くなる)、そして、最終的には論文は印刷された形にならなければならないということであった。インターネット上で電子出版された後に、ペンローズがチャーマーズに論文は印刷されたのかと尋ねたところ、チャーマーズは「イエス」と答えたのだが、今日に至るまで、ペンローズは肝心の印刷された論文を受け取っていないのだった。

 私は、ペンローズに、甘利俊一という名前を知っているかと尋ねたが、彼の答えは「ノー」だった。もともと、ペンローズは、神経回路網の数理は古典的な力学で書けるので、意識が行っている非計算論的な情報処理の解明には役に立たないという立場である。それで、神経回路網や情報幾何学の分野で世界的な名声を得ている甘利俊一の名前を知らなかったのだろう。私がペンローズに甘利を知っているかと尋ねたのは、私が理化学研究所時代に甘利俊一が半年間だけ私のボスだったからで、話のネタになるかと思ったのだが、「知らない」と言われて、この話題の線はあっさりと尽きてしまった。

 ペンローズは、それから、以前に同じ部屋に滞在した時、朝起きると無数のてんとう虫が部屋の中に入り込んでいたことがあったと言った。アダーが、てんとう虫の色や形を見ると、何故だか知らないが危害を加えようという気持ちが無くなってしまうと言った。そこで私は、てんとう虫は、もともと、ひどくまずいらしいと言った。そして、

 「もっとも、自分で試してみたわけじゃないけど」

とジョークを付け加えた。ペンローズが、

 「日本でも、てんとう虫が珍味と考えられているわけではないでしょう?」

とジョークで答えた。私は、

 「もちろんそんなことはありません!」

と応じた。

 そのような会話を交しながら、「ため息橋」(セント・ジョンズ・カレッジは、ベニスの有名な同名の橋のイミテーションを作ったのだ)に向かって歩き始めたころ、私は再び「質問攻め」を開始した。

 「もし、非計算的なプロセスの結果の特定の例をとると、それは必ず計算的なプロセスでシミュレーションできます。昨日、あなたは、計算的なプロセスと非計算的なプロセスを区別するためには、ある特定の問題ではなく、問題のクラスを考えなければならないと言いました。ところで、そのクラスの濃度は、連続無限でなければならないのでしょうか?」

 「いいえ、そうではありません。私が理解する限り、計算可能性に関する議論は、常に加算無限の範囲で議論されるのです。加算無限の範囲だけで議論していたとしても、その中に、計算可能な帰納的関数の部分集合があるのです。その範囲が、『計算可能』なのです。」

 そこまで議論が進んだところで、私たちはポーターの詰所に着いた。ペンローズは鍵を返し、私たちは車に乗り込んだ。

 アダーは、将来自分の家を作る時に、ペンローズ・タイルを使って良いかと聞いた。ペンローズは、

 「もちろんいいですよ。」

と快諾した。それから、いかに多くの人々がペンローズの許可なしにペンローズ・タイルをデザインに使って金儲けをしようとしているかという会話になったが、例によって私には興味がなかった。

 私たちは、車をホラス・バーロー研究室の入ったケネス・クレイク・ビルの前に停め、研究室のある3階へと上がっていった。私は、ペンローズにホラス・バーローを以前から知っていたかと尋ねた。ペンローズは、実際、バーローのことはずっと以前から知っていると答えた。

 アダーはペンローズを自分のオフィスに連れていって、旅費の精算などの手続きをした。ペンローズは、「心の影」があったら貸してほしいと言って、アダーから本を借りると、セミナーの準備を始めた。もう、セミナー開始まで、1時間を切っていた。私は、自分のマッキントッシュに行って、電子メイルをチェックした。それから、準備をしているペンローズのところに行って、理化学研究所にいた時に結晶学研究室の人にもらった、非周期的タイリングをデザインしたハンカチを見せた。そのタイリングは、近似的な8回対称性を持っていて、近似的な6回対称性を持っているペンローズ・タイリングとは別物であった。

 ペンローズは、ハンカチを見た瞬間に、

 「ああ、これはアンマンの考えたタイルだ。」

と言って、すっかりハンカチに魅入られていた。ペンローズは、ハンカチを調べながら、実際にはペンローズによって発見されたのではないのに、「ペンローズ・タイリング」と呼ばれる模様が沢山あるのだと言った。時には、「ペンローズ・タイリング」という名称が、ペンローズが発見した特定のタイルではなく、一般に非周期的なタイリングという意味で使われることがあるのだと言った。私がそのハンカチは差し上げますと言うと、ペンローズは非常に喜んで、

 「本当にもらっていいのか?」

と聞いた。そして、アンマンは不幸な男で、すでに死んでしまったが、一生アカデミックな地位に就くことがなかったのだと言った。それから、近似的な12回対称性を持つタイリングなどについて、ぶつぶつとほとんど独り言のようにしゃべり続けた。タイリングの話は、ペンローズが本当に愛しているトピックのようだった。

 アダーとペンローズは、一足先にティー・ルームへ行った。私は、しばらく経ってから、原節子の写真が焼き付けられたコーヒー・カップを持ってティー・ルームに移動した。ティー・ルームに入ると、すでにグレアム・ミッチソンがペンローズの前の席に腰掛けていた。ホラス・バーローもそこにいた。2、3分後、アンドリュー・ハックスレーがティー・ルームにやってきた。ハックスレーは、ホジキンとともにニューロンが発火する機構を解明して、ノーベル生理医学賞を受賞した伝説的な生理学者だ。ホラス・バーローが席から立ち上がり、ペンローズをハックスレーに紹介した。ハックスレーは、ペンローズよりも、10才ほど年上である。私には、二人がごちょごちょと言っている内容が聞き取れなかった。後にアダーが私に教えてくれたところでは、ハックスレーはペンローズを知らず、ただペンローズの父親のことは覚えていて、

 「君はあの・・・の息子なんだろう?」

と聞いていたということだ。つまり、ハックスレーは、ペンローズをその父親を通してのみ認識したということだ。アダーも笑っていたが、それは、76才と66才の二人の男の間の会話としては、はなはだ奇妙なものであった!

 驚くべきことに、グレアム・ミッチソンは、未だに「古代ギリシャへのタイム・トリップ」の話題について、ペンローズと議論していた。昨日夕食会の貴重な時間を一時間浪費しただけでは、不十分だったというのだろうか。私は、仕方がなく、ホラスがもうしばらくするとオーストラリアに行くので、その旅行の予定についてお喋りした。

 午後1時になり、セミナーが始まった。話の内容は、私がほとんど暗記していることだった。何しろ、私は、「皇帝の新しい心」と「心の影」をそれぞれ2回づつ読んだのだから。そこで、私は、どちらかというと、話の内容よりは、ロジャー・ペンローズの人となりに注意を向けた。ペンローズは、二つのOHPプロジェクターを使った。最初のOHPシートは、物理的、精神的、そしてプラトン的世界の関係を3つの球で表わした有名な図だった。私は、その図を見ながら、おそらく、今から100年後には、この図がペンローズの哲学を表わすシンボルと考えられるだろうと思った。ペンローズは、それから、人間の知性には、非計算的な側面があると強調した。そして、「知性」(intelligence)は、「理解」(understanding)を必要とし、「理解」は、「覚醒」(awareness)を必要とするという、現在のペンローズの理論の根幹となっている考え方に触れた。全てのOHPシートは、マーキング・ペンで手書きされていた。初めて気がついたのだが、ペンローズは、どうやら、色を使うのが大好きなようだった。「色でも考える」人なのだ。今まで、線画のイラストばかりに接していたので、そのことに気が付かなかったのだ。セミナーについて連絡し合っている時、ペンローズはアダーに、物理的世界、精神的世界、そしてプラトン的世界を表わすそれぞれの球を何色に塗ったらいいのか、具体的な指示を出していた。何故だか理由はわからないが、それぞれ、青、赤、黄色でなければならないというのだ。その図を使ったカラー印刷のポスターを見て、ペンローズは、

 「これは私が思っている色と少し違う」

とさえ言った。それほど、具体的な色にこだわりがあるのだ。私は、ペンローズをバーロー研究室に案内する途中で、何故、青、赤、黄色でなければならないのか尋ねたが、ペンローズ自身も、何故だかわからないということだった! 

 セミナーの後で、聴衆からありふれた3つの質問があった。まだまだ質問が続きそうだったが、司会をしていたアダーは打ち切らなければならなかった。何しろ、セミナーは1時間の予定だったのに、ペンローズはすでに10分間オーバーしていたからだ。

 私たちは、レセプションの行われる部屋へと移動した。そこには、スリマンとアダムがすでにいた。スリマンはインドから来ているポスドクだ。アダムは、熱心な最終学年の学生で、スリマンと卒業研究のプロジェクトをしている。アダムは、私に、計算論的神経科学(computational neuroscience)を勉強するには、何を読めばいいかと尋ねてきたので、私はセノフスキーの本を勧めた。ペンローズは、何人かの熱狂的な若い学生に取り囲まれていた。スリマンは、私に間の抜けた質問をした。ペンローズが、人間の思考はアルゴリズムに基づく計算的なプロセスでは理解できないと主張している点に関しての質問であった。

 「私たちの思考が、アルゴリズムに基づいていないことは当り前ではないか。何故なら、私たちは、『経験則』(heuristics)に基づいて行動しているのだから。」

 私はあきれて、その『経験則』とやらが何なのか、数学的に定義できなければ、そんなことを言っても何にもならないと言ってやった。スリマンは、これでも、コンピュータ・サイエンスの学位を持っているというのだから不思議だ。アダーは、後に、皮肉たっぷりに、きっとスリマンは『経験則』に基づくアルゴリズムだって作れることを知らないのだろうと言った。

 どうやら、ペンローズのセミナーは、生理学教室を中心とした聴衆の平均的な知性のレベルでは理解するのが辛かったようだ。韓国から来ている博士課程の学生のヨンは、セミナーの最中に、生理学者が、

 「何時になったらニューロンが出てくるんだろう?」

としきりに文句を言っていたと証言した。私は、生物学的常識論を振りかざす、凡庸な生理学者が嫌いだ。彼等は、量子力学やチューリング・マシーンが何なのか全く理解せず、ただ「常識的な」世界観で、ああでもないこうでもないと言っているだけなのだ。(もちろん、全ての生理学者が「常識的」な世界観にこだわっているわけではないが!!!)

 ホラス・バーローは、セミナーが気に入ったと言った。そして、ペンローズが言っていることは正しいかもしれないと認めた。さらに、

 「ペンローズは恐ろしく賢く、チャーミングなやつだ。」

と付け加えた。しかし、彼自身は、(ペンローズの言っているように、「意識」の理解には量子力学が必要だというつもりはなく)、

 「古典物理の枠内で考えることで十分幸せ」

なのだそうだ。ホラス・バーローは、リーズナブルな人間だと思う。例え、何か自分に理解できないことがあったとしても、ホラスは、それが「ひょっとしたら偉大なものかもしれない」と判断する洞察力を持っている。それに比べて、同じロイヤル・ソサエティの会員でも、網膜の光受容体を研究してきたトレバー・ラムは、ペンローズのセミナーは「ゴミ」だったと言ったそうだ。もっとも、トレバー・ラムの「物理学」のアイディアは、せいぜい水溶液中を拡散する粒子のシミュレーション止りなのだから、仕方がないが。前日の歓迎の夕食会にも出たジョン・モロンに至っては、アダーに、

 「セミナーに自慰野郎(?!)を招くのはやめろ」

と言ったそうだ!!!

 というわけで、聴衆のリアクションは、これ以上ないというくらい二極化していた。私のように、ペンローズの言っていることは全て正しい訳ではないが、彼のヴィジョン自体は、意識の本質を捉えており、21世紀の科学につながると考える人間も言えば、一方では、ペンローズの話はたわ言で、ペンローズはホラ吹き野郎だと、口汚くののしる人々もいる。個人的な意見だが、「連続体仮説」(continuum hypothesis)が何なのか理解できない人に、ペンローズの仕事を批判する資格はないと思う。時には、人々はあるアイデアを、それを理解できないというだけの理由で拒否することがあるからだ。

 ペンローズは午後3時のオックスフォード行きバスに乗りたがっていたので、私とアダーは、彼をレセプションからそっと抜け出させた。ペンローズはトイレに入り、数分間戻って来なかった。私たちが階段を降りて行くと、グレアム・ミッチソンがペンローズを見つけて声をかけた。

 「ロジャー、私の家では、時々とても素敵なディナー・パーティーをするんだ。ぜひ、来てくれよ。とても素敵なパーティーなんだ。」

 ちなみに、グレアムは50才で、独身。街の中心の大きな家に一人で住んでいる。

 車に向かって歩きながら、私は、ペンローズに、一番重要な質問をした。

 「私は、あなたが量子力学の波動関数の収縮の過程は決定論的であると考えているように思うのですが、そうではないですか?」

 「ええ、その通りです。もし、環境の影響があると、問題が複雑になって、ある種のランダムさが現れるかもしれませんが。」

 「でも、孤立系があって、その系が独自に収縮した場合、その収縮の過程は決定論的だとお考えなのですね。」

 「そうです。100パーセント確信があるというわけではありませんが、どちらかと言えば、そう考えたいと思っています。」

 「それを聞いて大変うれしく思います。今、ちょうど、あなたに関する本で、量子力学の収縮過程について書いているところなのです。私は、あなたが、量子力学の収縮過程を、非計算的ではあるが、決定論的だと考えていると書こうと思ったのですが。」

 「ええ、そう書いて構いません。」

 それから、私は、量子力学の収縮過程が、決定論的な法則で書けるというヴィジョンこそ、将来にわたってもっともエキサイティングで深遠な可能性だと付け加えた。それは、ペンローズの答に対する感想であるとともに、私自身の信仰表明でもあった。

 フォン・ノイマンよ、あっちへ行ってしまえ!

 10分後、私たちはペンローズをバス・ステーションで見送った。列の中に並んでいる時に、ペンローズは突然私の方を振り向いて、

 「本を書く上で何か質問があったら、何時でも連絡して下さい」

と言った。

 私がお礼を言っているうちに、ドライバーがチケットを売り始めた。私たちは、別れの握手をした。やがて、ペンローズがバスの中に消え、私は初めて街の中をまともに見回した。私は、空気は暖かくなりはじめていることに気が付いた。昨日降った雪もすっかり解けていた。